「王様と皇帝ってどう違うの?」と子どもに聞かれたら、正しく説明できますか?
昔、歴史の授業で習ったような気がするけど、どうだったかな~、という方。
「王様」と「皇帝」の違いについて、この機会に簡単におさらいをして、知識を深めておきましょう。
「王国」と「王様」について
近代以前の世界には、「王国」と「帝国」が併存していました。
「王国」は、ひとつの民族を一人の王が支配している国を、「帝国」は、いくつかの人種や民族を支配し、広大な領地を治める国家を指します。
それらの国のトップに立つのが、「王様」と「皇帝」です。
ヨーロッパにおける「王様」は、世襲制で、中世以前の王たちは、自分たちの地位は神から与えられ、血のつながりのある子孫へ受け継いでいくものと主張していました。
これを「王権神授説」といいます。
英語では、「王様」はキング、「皇帝」はエンペラーと呼びますが、このほかに「プリンス」と呼ばれる王が存在します。
日本語では、プリンスというと、王の息子=将来の王位継承者という意味合いが強いですが、ヨーロッパでの本来の意味は違います。
ローマ教皇などから承認を受けた国の王を「キング」、領土や権力がそれほど大きくなく、承認を受けられない小さな国の王を「プリンス」と呼ぶのです。
封建制度の下では、「大公」や「諸侯」とも呼ばれました。
ヨーロッパでは、王様にも格があるんですね。
また、イギリスでは、イングランドがスコットランド、ウェールズ、北アイルランドを実効支配しましたが、現在はそれぞれの国が自主権をもつ連合王国という国になっています。
過去に、イングランドの国王・エドワード1世がウェールズを支配下に置いたとき、彼は妊娠していた自分の妻をウェールズで出産させ、生まれた息子(エドワード2世)を「プリンス・オブ・ウェールズ」と称しました。
その後、イギリスで、イングランドの皇太子を「プリンス・オブ・ウェールズ」と呼ぶようになったのは、このためです。
現代では、王様が君主となっていても、政治を動かすのは議会が行い、君主も憲法に従うことが定められた「立憲君主国」が多くなっています。
しかし、王様が絶対的な権力を握る「絶対君主制」の国も、サウジアラビアをはじめ、中東の産油国などに存在します。
立憲君主制の国は、アジアでは、タイ王国、ブータン王国、カンボジア王国など。
日本も、天皇を君主にもつ立憲君主国に分類されます。
ヨーロッパでは、オランダ王国、スペイン王国、スウェーデン王国などがあります。
「帝国」と「皇帝」について
「皇帝」についての位置づけは、ヨーロッパとアジアでは異なります。
その頃の中国では、広大な大陸の各地に支配者がいて、領土を支配していました。
その支配者たちは、君主として自らを「王」と称していましたが、始皇帝は、中国を統一した際、その王たちを束ねる存在として、「皇帝」と名乗ったのです。
その後も、中国は何世紀にもわたって国家統一をめぐる戦乱が繰り返され、1912年に辛亥革命で「最後の皇帝」と呼ばれる愛新覚羅溥儀が清皇帝を退位するまでに、なんと557人もの皇帝がいたといわれています。
一方、ヨーロッパでは、「皇帝」は、もともと軍事司令官の意味をもっていました。
「皇帝」は英語では「エンペラー」といいますが、これはラテン語の「インペラトール」という言葉が語源です。
古代ローマ帝国では、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスが最初の皇帝と呼ばれています。
世襲制の王様とは違い、政治的な権力を得て頂点に上りつめた統治者・命令者を指します。
その後、皇帝は、「ローマ帝国を統治する継承者」という意味合いになり、カトリック教会の権威者である、ローマ教皇の承認を受けて地位が確定するという形をとっていました。
軍人から政治的権力を得てのし上がり、国民投票によって皇帝になったのがフランスのナポレオン・ボナパルトです。
ナポレオンは、フランス皇帝の戴冠式で、通常は教皇の手で授かることになっている皇帝の冠を、自らの手でかぶったといわれています。
これは、自分の皇帝という地位は、自分の力で勝ち取ったものであり、教皇を自分の支配下に置こうとしたためではないかと考えられています。
しかし、戴冠式の様子は「ナポレオン一世の戴冠式」という有名な絵画に残されているので、興味のある人は、是非調べてみて下さい。
「王様」と「皇帝」の違い まとめ
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- 「王様」は、ひとつの民族によるひとつの国をまとめる、世襲制の君主を指す
- 「皇帝」は、いくつかの民族にまたがる、複数の国を統治する支配者を指す
現代社会には、帝国はないため、「皇帝」は存在しません。
しかし、「皇帝のような統治者」は、まだたくさんいるようですね。