面をかぶって演じる能と、華やかな化粧や舞台が特徴の歌舞伎。独特な口上の狂言。
これらには、どんな成り立ちや違いがあるのでしょうか?
どれも日本の伝統芸能ではあるけれど、知らない人にとってはちょっと敷居の高い「能と歌舞伎と狂言の違い」について、簡単に解説します。
能とは?
その昔、コミカルな芸や物真似、曲芸などの大衆芸能である「散楽」と、荘厳な舞や音楽を奏でる「雅楽」が、中国から伝わってきました。
その後、「散楽」は色々な変遷を辿りながら、「猿楽(さるがく)」という能と狂言の要素をもつ芸能に集約されていきます。
そのため、江戸時代までは、能は「猿楽」あるいは「猿楽の能」と呼ばれていました。
室町時代に活躍した観阿弥・世阿弥親子は、筋書きのある物語に韻律をつけ、節と伴奏、簡単な舞で表現する「曲舞(くせまい)」や、幽玄の美学による「夢幻能」の様式を確立し、能の大成者として知られています。
少し先の時代になりますが、織田信長が桶狭間の戦いで死期を悟り、「人生五十年~」と舞ったのも曲舞のひとつです。
また、「夢幻能」とは、亡霊や神、鬼などといった通常世界にはないものを演じる演目です。
現在でも、この親子の創作した作品は、ほとんど形を変えることなく上演されています。
戦国時代に入っても、能は、武士階級の人々に支持されて発展を続けました。
特に、豊臣秀吉は能を愛好し、自分の生涯を能の作品に仕立てて、自ら舞ったりしていたようです。
江戸時代になると、2代将軍徳川秀忠が、能と狂言を幕府の式楽(公式の儀式などで演じられる芸楽)と定め、これにより、能の社会的地位が確立されました。
明治維新後は、能と狂言を合わせて「能楽」とし、能舞台を屋内に組み込んだ能楽堂という舞台形態を確立するなど、より洗練され、完成された形になっています。
どんな風に演じられるの?
能では、本来の自分とは違った役を演じる時、能面(おもて)と呼ばれる面をかぶります。
シテと呼ばれる主役の役者が、面の種類により、女性や仙人、幽霊などさまざまな役柄を演じ分けているのです。
面は、翁(おきな)、尉(じょう)、鬼神、男、女の5種類に大別され、全部で200種類以上あるといわれています。
一方、ワキと呼ばれる脇役は、面をかぶらずに登場し、ナレーションの役割をしたり、シテの敵役になったりします。
演目は、謡(うたい)と呼ばれる声楽と、鼓、太鼓、笛などの囃子(はやし)、役者の3つのパートで構成され、古典文学などを題材にした悲劇が多いです。
現在の能舞台は、神殿造りの屋根が上についた正方形の形をしていて、三方は吹き抜けになっており、観客は、正面・左右どの位置からも観ることができます。
幕や舞台装置などはなく、役者の持つ小道具も扇だけとシンプルな構成です。
歌舞伎とは?
当時、奇妙な格好をし、人とは一風違う振る舞いをする人のことを「かぶき者」と呼びましたが、京都で、このかぶき者の真似をして踊った女性がいました。
「出雲の阿国(おくに)」といわれる女性です。
阿国は女性だったので男装して踊りましたが、それが好評だったので、阿国の真似をする遊女や女芸人が続々と現れました。
それらは「女歌舞伎」として、京都だけでなく、日本各地で大変な人気を集めました。
しかし、女歌舞伎は風紀を乱すということで、幕府から禁止の命令が出てしまいます。
その後、成人前の少年が演じる「若衆歌舞伎」が現れましたが、これも女歌舞伎と同様の理由で禁止の憂き目にあい、「野郎歌舞伎」に発展していきます。
野郎歌舞伎では、演じ手はすべて成人男性なので、女性を演じる「女方(おんながた)」、男性役の「立役(たちやく)」、男性の悪人の「敵役(かたきやく)」などの役柄が確立し、演じ手によって演じ分けられるようになりました。
ストーリーも、初期は単純で短いものでしたが、徐々に複雑で長いものになっていきます。
また、三味線の伴奏も取り入れられるようになりました。
能とはどう違うの?
歌、演奏、役者が一体化しているという点では、能と似ていますが、能は楽器が鼓と太鼓、笛だけなのに対して、歌舞伎には三味線が加わっています。
また、能の面の代わりに、より登場人物を判別しやすくするために「隈取」と呼ばれる独特の化粧や華やかな衣裳、小道具が施されるようになりました。
歌舞伎の舞台には、黒・柿色・萌葱色の三色の「定式幕(じょうしきまく)」と呼ばれる幕や、「セリ」と呼ばれる舞台中央の穴、回転する「廻り舞台」、役者が観客席に向かって歩く「花道」など、人目を引きつける工夫が凝らされています。
また、役者が吊られて宙に浮くように見える「宙乗り」などの派手な演出も多く、現代でも最新技術の採用によって受け継がれています。
狂言とは?
もとは、能の幕間に演じられるショートコメディのような位置づけのものでした。
狂言の成立については不明な部分も多いのですが、14世紀の中ごろには、狂言の役者は「ヲカシ」という名前で歴史の舞台に登場し、能と狂言が交互に演じられながら、一座で一緒に興行していたという記録が残っています。
世阿弥の時代ごろには、まだ即興的で洗練されていない芸が多かったようですが、16世紀になると最古の台本が作られ、完成形に近づきます。
江戸時代には能と同様に幕府の式楽として公認され、様式美の追求が進みました。
明治維新後は、今に続く和泉流や大蔵流の努力もあり、能楽堂のほかに市民ホールなどでも公演が行われ、身近な大衆芸能として広く親しまれています。
「能と歌舞伎と狂言の違い」 まとめ
- 「能」「狂言」は、奈良時代の散楽がベースで、「能」は、簡素な舞台とシンプルな構成で、古典の悲劇などを扱う演目が多い。「狂言」は、もともと「能」の幕間に演じられ、喜劇の性質を持つ。
- 「歌舞伎」は、江戸時代の「かぶき踊り」が起こりで、様々な変化を得て、現代のような成人男性のみが演じる形態となった。人目を引き付ける演出や、工夫の凝らされた舞台が特徴。
- 「能」や「狂言」は、幕府の庇護を受けた武士社会の芸能であったが、「歌舞伎」は、庶民の娯楽のような意味合いが強かった。
このような基本的な違いが分かっていると、観劇の際もより味わい深く楽しめるのではないでしょうか。