「ドラキュラ」と「ヴァンパイア」の違い
ドラキュラとは?
『魔人ドラキュラ』(1931年)にてドラキュラに扮するベラ・ルゴシ。(出典:Wikipedia)
ブラムストーカーという作家が1897年に「吸血鬼ドラキュラ」という小説を書きました。ドラキュラは、小説「吸血鬼ドラキュラ」に登場する主役の名前です。
小説では、ドラキュラは「吸血鬼で背が高くてやせた男」「燃えるような赤い目」という印象表現が何度も書かれています。 生活の活動時間は 日没から日の出までで、夜が明けると目を開けたまま死体に戻ります。 嫌いなものは十字架をはじめとする神様に係るものとニンニクです。特徴的なのは、影がなく鏡に映らないということです。
ドラキュラはルーマニア語で「龍の息子」を意味しています。小説に出てくる登場人物の 固有名詞であるため 吸血鬼全般をドラキュラと呼ぶのは間違いです。またドラキュラは実在した人物がモデルとなっていると言われています。
ドラキュラのモデル
ドラキュラのモデルになったと言われているのが、ヴラド・ツェペシュ(ヴラド3世)は、本当にルーマニアに実在していました。ヴラド3世の父親が竜公(ドラクル)と呼ばれていました。そのドラクルの子どもの意味であるドラクレアという別称をヴラド3世は使っていました。ドラクレアが英語でドラキュラとなります。
14世紀に建国されたワラキア公国は、現在のルーマニア南西部にあった小国でした。当時超大国であるオスマン帝国( 現在のトルコ)に属国として朝貢していました。そうすることで小国の地位を守ってきたのです。
しかし、ある時オスマン帝国が朝貢の額を引き上げてきました。そのことをヴラド三世は激怒しました。そしてオスマン帝国からの使者を捕虜として殺害してしまいました。 その殺害した方法が 生きたまま串刺しにしてさらすというなんとも残酷なものでした。 いつか彼は「ヴラド・ツェペシュ(串さし公)」と呼ばれ恐れられました 。
その後、使者を殺害されて激怒したオスマン帝国が進軍したきましたが、串刺しされたまま放置された仲間の死体を目の当たりにすると、兵士たちはワラキアから逃げ出していきました。結果的に、ヴラドはワラキアを守ったことになります。
ヴラド3世の生家は現在も残っています。またブラン城がドラキュラの城として有名で、観光客も大勢訪れているようです。しかし、ブラン城にヴラド3世が住んでいた事実はなく、何も関係ないそうです。ちなみに生家には、子孫の方が住んでいて、生家は現在レストランに改装されて営業しています。
ヴァンパイアとは
吸血鬼:フィリップ・バーン=ジョーンズ画(1897)(出典:Wikipedia)
ヴァンパイア(vampire)は、英語で「吸血鬼」という意味です。夜間死体から生き返り、墓地を出て眠っている人の生き血を吸い、夜明けとともに墓に帰るとされる伝説上の幽霊です。ニンニクや十字架・太陽の光を恐れます。また、死体のヴァンパイアの心臓部にくいを通すと、現れなくなると言われています。
歴史
吸血鬼・ヴァンパイアの起源は、古代ローマ、ギリシャ、エジプト時代にあったといわれています。実際ヴァンパイアといわれるようになったのが11世紀になってからです。
11世紀は、奴隷売買が盛んになりそのため、奴隷がたくさん亡くなりました。ヴァンパイアといわれたのは、スラブ語の「死からよみがえる人」からだとか、バンピルやトルコ語の「魔女」を表すウピルが語源だと言われています。奴隷のために過酷な死に方をしたからだと思います。考古学者たちは、今でもヴァンパイア神話が どのようにして生まれたかを明らかにしようとしています。
ヴァンパイア信仰が ピークを迎えたのは 中世の頃です。当時、ヨーロッパで多くの疫病がはやり、そのために亡くなる人がいました。まだ疫病についての知識はなく、死体がどうして腐敗するのかもわかっていませんでした。人々は恐怖を感じながら、いろいろ憶測をしていました 。
誰かが伝染病で死ぬとヴァンパイアになると信じられていました。ですから死体を埋葬するときにヴァンパイアにならないようにレンガを口に詰め、白い布でくるむなどの仕掛けをしました。 死体が蘇って 疫病をうつされては困るからです。 疫病で亡くなる人がでるたび、確認のため何度も墓堀は、墓を掘り起こしました。掘り起こすたび腐敗していく死体を見て、 吸血鬼と結びつけていったと思われています 。
このようなことから、話が膨らんで 吸血鬼伝説が作られたと考えられています。 吸血鬼の伝説は、その後も姿を変えながら語り継がれ、いつかそれが想像上のものか、実在するものかがわからなくなっていったのです。
吸血鬼の仲間
ドラキュラだけではなく 世界に は 、様々なタイプの 吸血鬼がいますので、どんな吸血鬼なのかご紹介します。
ヴァーニ
黒いロングコートを着た吸血鬼です。ヴァーニの衣装やスタイルが、現在の吸血鬼のイメージを作ったといわれています。
カーミラ
吸血鬼作品では珍しい女性の吸血鬼です。 血を吸う相手も女性を選びます。
ラミア
カーミラ以前に、誕生した女性吸血鬼です。美しい歌声で子供や男性を誘惑して食べてしまいます。そして食べた相手の血を飲むと言われています。
ストリィガ
鳥の姿をした女性吸血鬼です。ゆりかごの中で眠っている生まれたての赤ん坊や若い男の血を吸います 。
キョンシー
中国の吸血鬼です。生きている者の首をねじって切り、血を飲むとされています。 元々中国には、埋葬前に安置された死体が夜になると突然動き出して人を驚かすという言い伝えがあります。
「ドラキュラ」と「ヴァンパイア」の違い
①ドラキュラは、小説「吸血鬼ドラキュラ」に登場する主役のヴァンパイアの名前です。
ヴァンパイは、吸血鬼という意味の英語です。
②小説に書かれているドラキュラもヴァンパイアですから十字架やニンニクがきらいで、夜活躍し人の血をすするなどの特徴共通しています。
③ドラキュラは実在のモデルがいます。実際は、小国の領主で自分の国を守った人です。今でも子孫が、生家でレストランを営んでいます。ヴァンパイアは、死者が疫病をもたらすと恐れられ、話がどんどん大きくなって作られた想像上の幽霊です。
④ヴァンパイアには、ドラキュラ以外にも有名な吸血鬼がいます。
まとめ
ルーマニアでは、ドラキュラのグッズやブラン城といったら観光客に大人気です。しかし、中世ヨーロッパの権力闘争の中で、小国を守ったとドラキュラは、意外にもルーマニアの英雄だったのです。イメージと違うストーリーがあることに驚いています。またヴァンパイアも人間の生死の中で、疫病という当時の人にとっては不可解で恐ろしいものから作り出された幽霊だったのです。
ハロウィンが日本ではやりだしてから、ヴァンパイアのグッズを見かけますが、かわいらしいものもあるので、架空のものとしてとらえている人も多いと思います。またドラキュラとヴァンパイアは、同じものだと思っていた人も多かったのではないでしょうか。それにしても日本の幽霊と西洋の幽霊はずいぶん違いますね。